青島档案館の強制連行関連資料(12)

  弁護士 暴動は?

 張 第1では四回、第2でも一回、資料が残っている。もっとていねいに調べれば、回数は多くなるかもしれない。

 弁護士 原因は。

 張 自ら好んでここにきた人はありません。強制的につれてこられた。日本に送られたらたまらない、寒く、まともに食べるものも与えられない、これでは、暴動が起こるのもあたりまえでしょう。1945年2月17日の暴動について書かれている。ふとん、食べるもの、水もないということで、レンガ、鉄の棒などで壊し、それで逃走した。どのように鎮圧したかも書いてある。

 弁護士 亡くなった人は?

 張 その場で一人銃殺。日本軍が追いかけ、二人を撃ち殺し、一人に傷を負わせたと書いてある。

 弁護士 日本に連行された人は、39・7%に達したと書かれているが。

 張 外務省報告は、4万人を日本に連行したことになっている。日本に連行するためにつれてこられたが、中国国内の収容所で1万1000人が亡くなっているから、5万人が連行されたというべきだ。

 弁護士 連行の組織がつくられた経緯は?

 張 日本が青島を占領して、陸海の特務機関が、かいらいである治安委員会をつくらせた。1931年、特別市ができたので治安維持会が解散した。

 弁護士 華北政務委員会が成立したが?

 張 日本人が主要ポストにつき、市政の実権を握っていた。

 弁護士 陸軍の部隊名は?

 張 桐部隊だ。第2労工訓練所のそばだ。1個旅団1万人だったのではないか。壕をつくることで封鎖した。日本軍は壕にそってトーチカなどをつくり、監視員をおいた。