青島档案館の強制連行関連資料(8)

 陸軍北支派遣軍「桐」旅団の通信隊に所属していた元兵士から、同じころに起きた「暴動」について伺ったことがあります。

194412月、休みに町に出たとき、1000人ぐらいの行列に出会った。「報国隊」の旗を先頭にぞろぞろ歩いていた。この中国人たちは競馬場(中山公園にあったらしい)連れて行かれた。競馬場の隣の兵舎を通信隊が使っており、ここの巡回も通信隊がやっていた。

―連行されてきた中国人たちは、灯台の修理などに使役されていた。現場監督によく鞭でたたかれていた。

―翌年110日、部隊の創設記念日で久しぶりに酒を飲むことができ、その夜は、誰もがぐっすり眠り込んでいた。夜中3時頃、非常招集がかかり、追跡が始まった。中国人たちは競馬場の兵から布団を落とし、飛び降りたようだった。

―しばらくして逃げ遅れた中国人2名が競馬場正門につりさげられ、拷問が行われた。東の空が明け始めるころ、1人ががくりと首を落とし、もう1人も息が絶えていた。

 この競馬場で発生した逃亡の記録は、档案館の資料にはないようです。軍の恥になるようなことは書かれなかったのかもしれません。