青島档案館の強制連行関連資料(7)

 1945125日に第2労工訓練所で暴動が起きた際には、日本軍も出動しました。

青島特別市警官局局長は、青島市長に次のように報告しています。

<匯泉体育場内に居住する労工協会の労工280数名が、今月16日午後850分に暴動を起こした。南分局長は警官および警防団員を率いて鎮圧し、分局および駐屯地の景観を総動員し捜索に出動させた。体育場周辺の同盟国の桐部隊にも出動してもらった。

この労工は、はじめ市の北分局の鉄山路に居住していたが、今月13日に体育場に移ったもので、労工協会の日本人3名、中国人の協会員12名が管理していた。そしてこの分局から警官7名を派遣し協力していた。暴動の時、各労工は石を投げて協会員らを攻撃した。発砲して制止したが、効果はなかった。労工は多人数のため、すぐに体育場南鉄門は破壊され逃亡、同時に壁を越えて逃亡した者もいた。

分局は14名、桐部隊は6名、計20名を確保した。その内、負傷者は5名。労工協会立ち会いで、日本の憲兵隊が確保した全員を連れ帰って処理した。体育場には逃げなかった者が14名、死者4名、負傷者3名がいた>