強制連行の基地となった塘沽港(7)

塘沽の万人坑跡には19928月に記念碑が建てられています。碑には、万人坑は日本が労工を虐殺し骨を埋めた所であること、死者の名前も不明で、人数もかぞえられないほど多いこと、日本は国内での労働力の不足を補うために何度も日本に連行したことなどが書かれています。

『日本略奪華北強制労工档案史料集』には、この碑文とともに、「塘沽労工集中営遺跡碑文稿(1989年)」が掲載されています。

日本軍国主義は、侵略戦争の必要上、中国の労働者をさらい、日本に連れて行き、強制労働をさせた。塘沽新港労工収容所は徳大埠頭に1943年につくられ、後にこの場所に移された。ここは現世の地獄で、多くの労働者が虐待を受けて死んだが、それゆえ、人々は「労工営」と呼んだ。中国人民は奴隷のような労働に甘んじなかった。「労工営」では反抗事件が絶えなかった。19446月深夜、わが党の2人の幹部が率いておこなった第1次の暴動では114人が逃げ出した。この事件は塘沽新港の労工の大暴動として当局を震撼させた。>