強制連行の基地となった塘沽(6)

 

塘沽新港で少年工として働いていた左文治さんは中国のメディアで、万人坑記念碑が建っている場所から北に約600メートル離れた地点に万人坑はあったと語っています。

  「万人坑は実際には鉄道を建設した後にできた。集中営に近く、日本軍が死体を集中的に埋葬し、万人坑ができた。毎日のように日本兵が馬車で死人を運んできた。多い時は10数人、少ないときでも5、6人、ござで巻いて、穴の中に投げ捨てた。そして上から黄土をかぶせて事をすませた」