山西省の捕虜収容所と強制連行(4)

[閏生林]

山西省五台県陳家荘郷陡寺村の出身で、八路軍に参加。原平市で日本軍に包囲され、10数人が捕虜になり、太原捕虜収容所に連行されました。

▽捕虜収容所には、一般民衆、山西軍、八路軍、中央軍が収容されていた。寝るところは木造で、屋根は人の字形だった。家の中は2層の木の板が敷かれ、1棟におよそ5、60人いた。家の中は、寝床が2列に向かい合い、真ん中は約1メートルの広さの通路になっていた。

▽食事はアワのご飯で、1回にお椀半分、一日2度の食事で、腹一杯にならず空腹だった。野菜はなく、飲み水はあった。

▽病気になり、重いと運ばれて、病棟に送られた。病棟に入ったら霊安室に入ったようなもので、死ぬ人が多かった。死ぬと外の大きな穴に投げ入れられた。

▽日本に行く時、体の丈夫なものが選ばれ、病弱なものは選ばれなかった。