裁かれた済南新華院(9)

済南市人民検察院副検察長・劉献林の回想は続きます。

 

最高人民検察院は“万人坑" を掘り起こすために中国人民解放軍軍医大学の法医学教授・陳康顧を遺骨鑑定人として招聘した。同時に北京映画製作所の孫技師を招聘して実際に撮影をおこなわせ、検察官・王広恩を現場指導にあたらせた。済南市人民検察院山東医学院の教授の孫紹謙、法医学助手の沈宝銘、王建清に鑑定に参加するように招聘した。北京市人民法院、済南市中級人民法院の法医学者は発掘に参加して鑑定の仕事をした。

この発掘に参加した人員は合計94 人にのぼり、19541210日と1955 17日の2 度、合わせて16日間、“万人坑" のうちの8つの遺体が埋められた穴を掘り起こした。

1回の発掘では2つの穴を掘り起こし、拾った白骨は4箱と8つの包みになり、弾丸一つを取り出した。銃の弾丸16 個である。

2回の発掘では、大小6つの穴を掘り起こした。拾った白骨は557 包み、薬きょう14個、弾丸204個で、列車の時刻表もあった。

遺骨は水で汚れを洗い落として鑑定した。遺骨は、老若男女すべてあり、年齢は60 数歳から1415 歳まで。比較的完全な遺骨は746体、そのうち男性は283体、女性7体、性別不明456体である。殺戮の手段は火器による殺害173体、鋭器による殺害32体、鈍器による殺害3体、頭蓋骨の粉砕および骨折229 個。比較的損傷がなく生き埋めにされたと考えられる遺骨は97体、その他207体である。骨片は多数あり、何人分になるか推計できない。

証人、被害者の遺族の告発、旧日本軍兵士の供述、現場での検証と鑑定は、旧日本軍が抗日軍民をきわめて残忍なやりかたでおこなったことを完全に実証した。