裁かれた済南新華院(4)

前回見た青井真光裁判は、済南市に設けられた第二綏靖区司令部の審判戦犯軍事法廷で行われました。この軍事法廷でおこなわれた裁判の概要について、19738月、法務大臣官房司法法制調査部が『戦争犯罪裁判概史要』という報告書を作成しています。

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山東省済南市に設けられた第二綏靖区司令部の審判戦犯軍事法廷において行われた戦犯裁判は、昭和二一年(一九四六) 八月二五日、華北交通公司済南鉄路局警務段長の公判をもって開始され、昭和二二年(一九四七)一一月三日、済南憲兵隊の憲兵曹長の公判をもって終了し、華北交通公司長事件未決のまま、有期刑の判決を受けた五名のみ、翌二三年(一九四八) 一月八日、済南第一監獄出発、在済南市日本官兵管理処に一泊の後、汽車により一月一二日上海江湾国防部戦犯監獄に移監されたが、中国側は、軍司令部から参謀を付して上海まで移送した。華北交通公司長は、後に上海において合流した。

済南戦犯軍事法廷において行われた裁判は、起訴事件二一件、人員二四名、審判の結果は、死刑九名、無期刑一名、有期刑八名、無罪六名であった。

憲兵隊については、済南憲兵隊長の憲兵大佐以下一三名、一〇件が起訴され、審判の結果は、死刑七名を含む有罪一〇名、無罪三名であった。

済南憲兵隊の憲兵准尉は、共同殺人、自由妨害、傷害の罪名をもって起訴され、死刑となった。

青島憲兵隊通訳は、昭和一六年(一九四一)頃、計画的に中国人を謀殺し、また、非軍人を逮捕拘禁して酷刑を加え、財物を強取したとして、済南憲兵隊の憲兵曹長は、中国国民党工作員を逮捕して殺害し、非軍人を不法に逮捕拘禁して虐待し、酷刑を施したとして、同憲兵隊の憲兵准尉も不法逮捕、拘禁、酷刑施行の起訴事実で憲兵曹長は、済南憲兵隊に勤務していた時、同隊に拘留中の中国人浮虜を謀殺したとして、憲兵曹長は、昭和一四年(一九三九)頃、青島憲兵隊に勤務中、中学校長の兄を逮捕し、日本刀をもって斬殺したとして華北特別警備隊の憲兵少尉は、済南憲兵隊在勤中、中国国民党工作員を逮捕拘禁して酷刑を施し、又は殺害したとして、それぞれ起訴され、いずれも死刑となった。