「人間地獄」と恐れられた石門労工教習所(3)

 もう1人、地崎組に強制連行された臧趁意さん(地崎組伊屯武華124番)の証言に耳を傾けましょう。強制連行問題の専門家で、中国河北大学の劉宝辰教授が2010年に彼をたずねています。

正確な住所は、河北省饒陽県同岳郷王同岳村。1994年に彼が書いた回想録は、他の労工が書いたものより正確で、とても参考になる」。ただ残念なことに、そのとき(2010年)88歳だった臧趁意さんは、全身まひしていて、話をすることができませんでした。家族が劉先生が会いに来てくれたと言っても、ぜひ話を聞いてほしいと手紙を送った劉先生だと分からなかったようでした。「私が会いに行ったときはただ泣くだけで、家にいて横たわっていた。 彼の連れ合いもとっくに亡くなっていた」と劉先生は言います。

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413月、自発的に八路軍の教導団に参加し、阜平県・平山県・霊寿県・行唐県・曲陽県・井隆県一帯でゲリラ戦をおこなった。43年秋、井隆県北部の黒水平北で敵に包囲され、捕まり、後に石家荘の労工訓練所に送られた。

石家荘に着いた後、漢奸は私の綿入れズボンや防寒靴を剥ぎ取り、「凍え死んでも自業自得だ。凍え死んだらお前を放り出して犬に食わせてやる」と言っていた。毎日毎回食事は中庭だった。点呼があり、人数がはっきりしないと食事させなかった。寒くてたまらず、飯も凍って食べられない。みんな飯時には絶えず身震いしていた。凍った食事で腹痛が起こり下痢をした。寝る時、凍えるので、むしろの下に潜り込んで寝た。もう少しで私の足は凍りついてしまうところだった。

(臧趁意さんが劉宝辰教授に書き送った手紙から抜粋)