強制連行は死のロードだった(6)

地崎組が石家荘と済南の収容所から連行し、北海道の伊屯武華・置戸、愛知県の大府(愛知県)、北海道の平岸の4カ所で強制労働をさせた事件の連行の過程も見なければなりません。この被害者たちは、収容所の地名からそれぞれ石門隊・済南隊と呼ばれました。愛知教育大学元教授の南守夫氏が「大府飛行場中国人強制連行・強制労働問題の概要について」という論文に詳しく書いています。(引用にあたって、改行しています)

・船中で1名死亡し(石門隊の楊蔵児(敬称略、以下同じ)18 才)、495 人が3 26 日に下関に上陸した。しかし、下関で328 日から6 9 日までに5 人が死亡している(赤間弟(28 才)、成章(22 才)、李海奮(25 才)、李運明(20 才)李貴祥(23 才))。上陸直後の死亡者は航海中に何らかの理由で病気になるか病気が悪化して、列車での北海道までの輸送に耐えないと判断されて、下関に残され死亡したと考えられる。

・『資料中国人強制連行』掲載の「中国人殉難者名簿」(17 頁)によれば、船中死亡の楊蔵児の死因は「心臓麻痺」とされている。下関での死亡者5 人の死因は、順に「急性肺炎」、「急性肺炎」、「大腸炎」、「肝臓炎兼肺結核」、「右大腿部腐織炎」とされている。しかし、船中死亡者を除いて「死亡診断書」はあるが、この間の各死亡者の死亡の経過についての具体的な資料や証言は得られていない。

・「華人労務者就労末報告書石門済南隊関係」(以下「末報告書」と略す)では、この6 名の死亡についてこう記している、「(五)輸送状況」の「(3)華労ノ健康死亡事故健康状態概シテ不良船中ニ於テ一名ノ死亡者ヲ出シタルモ上陸後所定の処定ノ手続キヲ取リ火葬ニ付セリ尚上陸後下関ニ於テ重症患者五名ヲ同士高須病院ニ入院治療セシメタルモ何レモ遂ニ死亡スルニ至リ同市ニ於テ手続ヲ採リ処置セリ」。健康状態が概ね「不良」と記されていることが注目される。さらに、下関で死亡した5 人について別の箇所に、「何レモ内疾患者ニシテ現地出発当初ヨリ発病シ居リアルモノヽ如クニシテ不幸死亡セシモノ」と述べている。「不幸」で片づけているが、はじめから病気の者を強制連行したことの反省は見られない。青島で乗船するまでに病気等で乗船不能と見なされた者たちが残されたにもかかわらず、実態としては、そのときすでに病気だった者たちをも乗船させ、死亡させたのである。「健康状態概シテ不良」と記されていることから、他にも病気の人々が多数含まれていたと考えられる。

・船中死亡に関して、今回の訪問調査で楊貴発氏の遺族は父から聞いた話として、先に引用した部分、「捕まった所では毎日憲兵隊が彼らを共産党だと言って殴っていました。」の後にこう続けている、「それから青島に行ったのです。彼らは船でも一人ずつ頭を殴り、死んだ人も多かったです。死んだ人は海の中に捨てられました。」船中死亡は1 名と記録されているので、矛盾するが、船中で虐待があったという証言である。いずれも10 代または20 代の若者がわずか5 日の航海によって6 人も死亡したことは、収容所や青島移送時の待遇等によって出港時までにすでに衰弱していたこと、船中での待遇が劣悪であったことを推察させる。

                            

この人たちは、地崎組が強制連行をおこなった最初のケースです。慎重を期したはずですが、医師を同乗させていないところに、強制連行というのは、中国人を人として扱わず、モノとして扱ったことがあらわれています。