オスプレイ部品落下で沖縄県議会が抗議決議

 沖縄県議会は2月21日、普天間基地所属の米軍MV22オスプレイがエンジン吸気口を落下させた事故に抗議する日本政府宛ての意見書と米軍にたいする抗議決議を全会一致で可決した。(意見書と抗議決議は、同文)
 オスプレイが落とした部品は、9日午前、うるま市伊計島の大泊ビーチ近くで漂流しているところを発見され、回収された。部品は約13キロあり、近くには最盛期を迎えたモズクの養殖場もあり、漁業関係者や住民、観光客をも巻き込む重大な事故にもつながりかねない状況だった。
 意見書および抗議決議は、日米合意に反して、部品落下の事実を米軍が日本側に通知しなかった点について、「隠ぺいの意図があったと疑わざるを得ない」と強く批判している。
(1) 事故原因の検証と公表、事故防止策
(2) 保育園・学校をはじめ民間地上空の米軍機の飛行・訓練の中止
(3) 直ちに普天間基地の運用停止
(4) 日米地位協定の抜本改定と、航空法の特例を廃止し、米軍に日本の航空法を遵守させること
(5) 在沖米海兵隊の早期国外・県外移転

(6)日米両政府は、米軍関係の事件・事故の改善に向け、当事者としての責任をもって対処すること
以上が要求内容である。

 今回の事故は、単なる部品ではなく、エンジンの空気取り入れ口であり、まさに心臓部での事故であり、航空機に知識のある人は一様に「あり得ない事故だ」と言う。アメリカのシンクタンクが少し前、海兵隊では機体の老朽化とともに整備士不足などが起きているとして重大事故につながる可能性があると警告していた。そういう警告も踏まえながらこの事故を見るべきであろう。

 というのも、米軍機の墜落、不時着、緊急着陸、部品落下。さまざまな事故が繰り返し起きており、県民の不安が増しているといえる。「何か落ちてくるのではないかと気になって、空を見上げてしまう」と言う人が何人もいた。
 2月15日に開かれた沖縄県議会米軍基地関係特別委員会では、2017年1月から2018年1月までに合計10件の普天間基地所属の航空機事故が発生していることが県基地対策課から報告された。肌感覚だけでなく、この統計にもはっきり示されている。
 では、当事者の米軍はどう受け止めているのか。米軍は、点検し、安全性に問題はないと表明して、すぐ飛行を再開させてきた。事故原因を究明した報告書は、数か月後にやっとでてくる。後に続く事故が起きなければいいのだが、毎月のように事故が発生している。
 日米合意で事故が起きたら米軍は日本側に通報することになっている。それが無視されている。

 なお、県議会事務局と在日米軍司令部とのやりとりで分かったことだが、在日米軍司令官は2年前から抗議を受け付けなくなっているという。その理由は、はっきりしない。米軍基地特別委員会の委員の間では、米軍に対応させるため、日本政府や駐日米大使などに働きかけようなどの意見が出ていた。

南洋戦・フィリピン戦における一般民間人の被害救済を放棄した判決

 1月23日、那覇地方裁判所は、「南洋戦・フィリピン戦」被害・国家賠償訴訟で、被害原告の訴えを却下する判決を出した。戦後70年たってもなお、一般民間人の戦争被害が救済されないことが許されてよいはずがない。弁護団と原告は、判決後、記者会見を行い、「ドイツ、イタリアでは戦後、法律を作り、一般民間人を救済している。なぜ、日本でできないのか。国家無答責を理由に請求を退けたのは、司法の責務放棄だ」などと訴えた。

 以下、原告団弁護団の「声明」(全文)を紹介する。

 

             声明
―「南洋戦・フィリピン戦」被害・国家賠償訴訟
                 那覇地方裁判所判決(棄却)についてー

 本日(2018年1月23日)、那覇地方裁判所民事第1部合議A係(劔持淳子裁判長)は、先の南洋戦・フィリピン戦で被災した一般民間戦争被害者45名が原告となって、戦争損害について国に対して謝罪と1100万円の慰謝料を請求した「南洋戦・フィリピン戦」被害・国家賠償訴訟につき、原告らの各請求を棄却した。不当判決である。

 

1.原告らは、請求の根拠として、日本軍の残虐非道行為と、米軍との玉砕戦による戦闘行為とその結果生じた生命侵害・身体侵害・精神侵害の被害事実を主張・立証し、この事実を基礎として、①日本軍の違法な公権力の行使に対する民法不法行為責任、②公法上の危険責任、③国会が被害の救済法を制定せず長期間放置してきた立法不作為責任、憲法14条で定める法の下の平等原則違反等を主張した。特に精神的被害事実については、28名の原告が「南洋戦・フィリピン戦」に起因する戦争PTSD (外傷性精神障害)と診断された事実を、専門医の鑑定書と診断書の提出により立証した。
 これに対し、判決は、原告ら45名が戦争被害を受けた事実、28名の原告が戦争PTSDと診断された事実を認定し、原告らの心労や労苦が、その内容は様々であるにせよ、おしなべて筆舌に尽くし難いものであったことは明らかであり、こうした苦痛や労苦は、軍人軍属及び戦闘参加者を含む準軍属並びにその遺族らのものと本質的に違いはないということができる。したがって、原告らが、被告においては、原告らのような一般民間戦争被害者に対しても、軍人軍属等と同様に、立法により救済や援護をすべき義務があると主張することも、心情的には理解できるところであるし、政策的観点からは、そのような見解も十分にあり得るところであるとした。

 

2. しかし、①民法不法行為責任については、明治憲法下の国家の権力的行為について国は責任を負わないとするいわゆる国家無答責の法理により否定し、②公法上の危険責任については、法的効果を導き出すほどの具体的根拠に乏しい抽象的概念であるとして否定し、③立法不作為責任については、立法府の裁量判断に委ねられているとして否定した。④軍人軍属との差別や戦闘参加者と認定された一般民間戦争被害者との差別が憲法14条の法の下の平等原則に違反するとの主張については、不合理な差別とはいえないとして否定した。
 これら請求棄却の理由は、被害が甚大なものであることを認めながら救済を否定する不合理なものであって、法律の適用を誤り、日本国憲法基本的人権規定に反する不当判決である。

 

3. また、原告らは、「南洋戦・フィリピン戦」におけるアメリカ軍の軍事行動の国際法違反行為として、次の2点を主張・立証した。
( 1 )アメリカ潜水艦・航空機による民間船舶に対する無警告・無制限攻撃は、パリ講和会議の戦争法規慣例及びワシントン条約による砲撃等の禁止に違反する
(2 ) アメリカ軍の住民居住地等に対する無差別じゅうたん艦砲射撃は、戦時海軍砲撃条約等に違反する。
 これらの主張について、判決は何ら事実認定及び法律解釈をすることなく、判断を回避した。
 原告らの主張に対して応答をしない裁判所の態度は極めて不誠実・無責任であると言わざるを得ない。

 

4. 判決は、原告らの被害事実として、艦砲射撃や銃撃、空襲、戦争下での栄養失調等による親族の死亡や、本人の負傷、戦争孤児となったこと、戦争PTSDとの診断を受けたことなどを認定している。判決が認定した戦争被害の実態は、いずれも極めて深刻かつ重大なものである。その深刻な被害がいまだ救済されることなく放置されていることは、決して容認できるものではない。
 先の南洋戦・フィリピン戦は日本の敗戦が決定的になっていたにもかかわらず、国体(天皇制)護持と日本本土防衛のために南洋諸島・フィリピン群島に住む国民の命を犠牲にした捨て石作戦(玉砕戦)であったことは歴史的にみて疑う余地がない。その強いられた玉砕戦争によって、南洋諸島・フィリピン群島に住んでいた日本国民10 万人のうち、沖縄県出身者8万人中2 万5000人以上が命を奪われ、戦争孤児も多く発生し、身体的障害者及び戦時・戦場体験に起因する心的外傷後ストレス障害(PTSD)など精神的後遺障害者が現在も発生している。今も原告らとその家族は戦争の惨禍に呻吟し続けている。「南洋戦・フィリピン戦」は、国の謝罪と被害の全面救済がない限り終わるものではない。

 

5. 明治憲法下でも保障されていた生命・身体・精神に対する戦争被害は人類普遍の原理である基本的人権の根本的破壊である。先の大戦は日本が開戦し、遂行してきたことは自明のことであり、日本国はその戦争によって被った国民の被害について謝罪し損害賠償する法的責任を負うことは、原告らがこの訴訟の中で法的主張を行い、証拠でもって立証してきたとおりである。

 

6. 被告国は、先の大戦の被害について恩給法・援護法を制定して、軍人軍属には総合計60兆円の補償を行ってきたが、一般民間戦争被害に対しては全く補償を行ってこなかった。南洋戦・フィリピン戦の一般民間戦争被害については、その一部の一般民間人については戦闘参加者として戦後になって認定し補償を行ってきたが、約l万7000人の死者と多数の後遺障害者に対しては謝罪も補償も行うことなく放置している。ここに軍人軍属との差別に加え、一般民間人の中にも差別が生じている(二重差別)。そこで、この放置された一般民間戦争被害者が、人生最後の願いとして国の謝罪と補償を求めたのがこの訴訟である。
 にもかかわらず、那覇地方裁判所は原告らの切実な請求を棄却したのである。基本的人権救済の最後の砦であるべき裁判所が、司法の責務を放棄したものと言わざるを得ない。

 

7. 原告らは、この不当判決に対して強く抗議し、国民・県民の皆様に広く訴えるとともに、直ちに控訴して引き続き闘うことを宣言する。
 最後に、原告団弁護団は、県民・国民とともに全民間戦争犠牲者の救済と恒久平和の実現のために闘い続けることを表明する。

                                201 8年1月23日
               「南洋戦・フィリピン戦」被害・国家賠償訴訟弁護団
                           団長 弁護士 瑞慶山茂
               「南洋戦・フィリピン戦」被害・国家賠償訴訟原告団
                           団長 柳田虎一郎

オスプレイ配備に沖縄の首長の7割が依然反対

  琉球新報は1月15日付で、沖縄県内41市長村長の約7割がオスプレイの配備撤回を求めていることがアンケート調査で分かったとする記事を掲載した。2016年12月に名護市安部海岸に墜落するなどして事故率の上がるオスプレイだが、そのアンケートに首長の9割近くが「不安がある」と回答した。安倍内閣と気脈を合わせる首長もオスプレイは不安だと答えていることを直視すべきだろう。
 アンケートは、昨年12月13日に沖縄県内の全市町村長にファクスで質問を送信。今年1月10日までに得た39人の回答を集約した。
 オスプレイの配備について、「撤回すべき」と答えた首長は70・7%の29人に上った。「分からない・どちらでもない」「無回答」「その他」は29・3%。普天間基地の建設予定地となっている名護市の稲嶺進市長は「撤回すべき」と回答した。
 琉球新報は「普天間飛行場への配備から5年が経過したが全県的に配備反対の声が根強いことが読み取れる」と分析している。
 また、記事では、辺野古新基地建設についても言及し、「新基地建設後、緊急時にオスプレイが100機配備される可能性も指摘されている」と注釈を施している。
 このほか、アンケートは、オスプレイ普天間基地への配備撤回、同基地の県内移設断念を求めた「建白書」が現在も意義を持っているかどうかを聞いている。これにたいし29市町村長が「意義は失われていない」と依然高く評価している。

 「建白書」は、知事になる前の翁長氏が中心になってつくり上げたもので、2013年1月に41市長村がサインし、国に提出された。翁長氏は、3年前の知事選でこの建白書の実現を訴えて当選。以後、この建白書実現が県政の最重点課題の一つとなっている。

相次ぐ米軍ヘリ不時着事故

 米軍UH1ヘリ、AH1ヘリの不時着事故について沖縄県議会米軍基地関係特別委員会が1月11日、開かれた。説明委員として出席した謝花喜一郎知事公室長は、事故の概要を説明する中で、「米軍機は、この1年間に約30件もの墜落・不時着・炎上・緊急着陸などを繰り返し」ており、「米軍の航空機整備、安全対策等について、大きな疑念と不信感を抱かせ続けてきたことは極めて遺憾」と強く米軍を非難した。事故の概要を次のように説明した。

 知事公室長:

 平成30年1月6日16時ごろ、米軍のUH1ヘリコプター1機が伊計島に、わずか2日後の8日16時45分ころ、AH1ヘリコプター1機が読谷村に不時着しました。両事故とも県民への人的・物的な被害は報告されていませんが、航空機関連事故は一歩間違えば人命・財産にかかわる重大な事故につながりかねません。
 普天間飛行場所属機をはじめ米軍機は、この1年間に約30件もの墜落・不時着・炎上・緊急着陸などを繰り返し、県民の不安は、これまでになく高まっており、日常的に米軍基地に隣り合わせの生活を余儀なくされている県民に平穏な日常生活や生命に対する不安を与え、米軍の航空機整備、安全対策等について、大きな疑念と不信感を抱かせ続けてきたことは極めて遺憾であります。
 昨年12月のCH53Eからの部品落下事故を受け、県などが航空機整備、安全管理体制の抜本的な見直しを求めてきたにもかかわらず、日米両政府が一顧だにしないなかで、米軍がふたたびこのような事故を繰り返したことに強い憤りを禁じえません。
 県は1月6日と8日に、事故発生の報告を受け、基地対策課の職員を現地に派遣し、情報収集に努めるとともに、1月9日に富川副知事から第3海兵遠征軍司令官に対し、これまで県が求めてきた全航空機の緊急総点検とその間の飛行中止を確実に実施するとともに、航空機整備、安全管理体制の抜本的な見直しを図ることを強く求めました。
 また、特に今回の事故に関しては、原因究明がなされるまでの同機種の飛行中止、事故原因の徹底的な究明と速やかな公表、実効性のある再発防止策の実施を強く要請したところです。
 さらに富川副知事が同9日には、外務省特命全権大使沖縄担当、沖縄防衛局長、翌10日には内閣総理大臣内閣官房長官外務大臣防衛大臣に対し、同様の抗議・要請を行い、これらの要請内容を政府の責任で米軍に実現させるとともに、県が求める新たな協議会を設置するよう強く求めたところであります。

 

 委員会での審議は、多角的に行われ、興味深い議論がいくつも展開されたが、ここでは、沖縄県は米軍から事故についてどのような説明を受けたかという委員の質問にたいする知事公室長の答弁を記す。

 

 委員:

 緊急着陸で、計器の異常と聞いているけれども、原因について米軍から報告がありましたか。
 知事公室長:

 読谷の方ですけれども、夜の10時過ぎだと思います。防衛省を通じて米側がよく朝の7時30分に離陸するという第1報がございました。翌朝7時半というのは、公務が再開されていませんし、不時着した地域は、読谷村嘉手納町の共有の施設と伺っていますが、そういった所に対して十分な謝罪等と、そのうえで、こういうことで安全性が確認されているので基地に戻りますというような説明があったうえでの対応であれば理解できるわけですが、第1報で、メールで、そういった話があったものですから、これは我々としては認められないということで、即座に、夜でしたが、沖縄防衛局の方に電話しました。
 沖縄防衛局も同様の認識はしているけれども、なかなか動かないんだということがありましたので、富川副知事にその旨伝えました。
 富川副知事は、夜11時ころになっていたと思いますが、ニコルソン中将に電話いたしました。ニコルソン中将から追って連絡があり、翌朝飛ぶんだと、で県民への説明は沖縄防衛局を通してやるんだというような説明がございました。
 翌朝7時半といっていましたが、7時22分には離陸しているわけですが、沖縄防衛局に確認しましたら7時21分に飛びますという話があったということです。そういったなかで昨日、米側からマスコミにリリースがあったわけでございます。原因は、テールローターの電子系統の異常だといったことがあったわけですが、こういった対応では、まったく県民は不安、不信感は拭えるどころか増幅するんだというようなことを強く、昨日も富川副知事から外務、防衛両政務官に申し入れています。
 やはり、情報の提供をしっかりやっていただく、本来、あってはいけないことですが。情報の提供をしっかりやっていただかないと、県民の不安はますます募るんだということを強く申し入れました。
 これにたいして防衛省からは、この点については十分認識しているので、情報提供のあり方については、今後検討する必要があるというような説明をいただいたところであります。

 

 同委員は、伊計島の方についての経緯も聞いた。

 

 知事公室長:

 UH1の事故原因の米側からの説明は、メーンローターの回転速度超過に対する警告表示が点灯したということでした。警告灯が点灯した原因など、具体的な原因は調査中ということで、その視点で判明できなかった。その中でヘリを吊り下げてホワイトビーチまで運んだというように認識しております。

 

 各委員からの発言があり、質疑が終わったところで、委員長から米軍に対する抗議決議と内閣に提出する意見書の案が各委員に提示された。持ち帰り協議となった。

日本の防衛相はなぜ、ハリス司令官の「不時着は、安全な場所で満足」発言を批判しなかったのか

 小野寺五典防衛相は日本時間10日、米国ハワイでハリス米太平洋軍司令官と会談した。この会談の中で頻発している沖縄での米軍機事故・トラブルについても取り上げられている。以下、防衛省がHPに掲載した「臨時記者会見概要」による。

 

小野寺防衛相 (北朝鮮情勢と対応について意見交換したあと)最後に、沖縄における米軍ヘリの緊急着陸を含む一連の米軍の事故について、地元の不安と御懸念を踏まえ、これまで求めてきた再発防止策や点検・整備の徹底等に関して、今一度抜本的な対策を講じていただくよう申入れを行いました。また、在日米軍再編の着実な進展を含め、地元の負担軽減に引き続き日米で取組むことを確認しました。
記者 大臣の申入れに、ハリス司令官が年々減少していると、ここ2年減少している、これこそ安全運航の証だといったようなお話がありましたが。
防衛相 全体としては、米軍の航空機が、事故が減少していることなのだと思います。だからこそ、なぜ沖縄において今回の不時着事案を含めて続いているのか、このことはむしろ逆に深刻に受け止めていただきたい、そういう思いで今日はお話をさせていただいております。
記者 年間30件とか23から25件とかというのは、在日米軍の航空機の事故の件数として正しいのでしょうか。
防衛相 在日米軍の、おそらく数字上の数ではないかと思います。私も一方的なお話だったので、少し確認をさせて下さい。
記者 ハリス司令官からは、トラブルが生じたときに基地に戻るよりは、安全な場所で不時着をした方がいいというお話だったと思うのですけれども、大臣の見解は。
防衛相 私の理解では、もし万が一警告灯が表示されて、それでも無理に航行を続けて事故になるよりは、なるべく早く安全なところに着陸をして、そして、しっかり点検をするということが大切なのだと思います。ただ今回米軍が緊急着陸をした場所というのは、民家に近い場所であったり、あるいはたくさんお客様がいらっしゃるホテルの近くであったりということなので、これは沖縄の皆様を含め、私どもからすれば、確かに広場であっても、周辺にあれだけ人家があるということは、決して安全な場所ではないと思います。
記者 その点については、今日の会談で、我々が退出した後に御指摘はあったのでしょうか。
防衛相 今日は、他にも様々、北朝鮮その他の案件がありましたので、そこまで詳しくは、触れなかったと思います。

 

 ハリス司令官が会談で米軍の航空機事故は年々減少しているとの認識を示し、「これこそ安全運航の証だ」と主張したことが分かる。沖縄県民の不安と怒りをまともに受け止めていないようだ。さらに、不時着場所について、トラブルが生じたときに基地に戻るよりは、安全な場所で不時着をした方がいいとも話していたというのが防衛相の受け止めであった。
 メディアは「一番近い安全な場所に降ろす措置に満足している」という発言だったと報道している。
 小野寺防衛相は、今回の不時着地点が民家やホテルに近い場所であり、問題だという思いは持っていたようだ。しかし、ハリス司令官にたいしてそのことは指摘しなかった。「他にも様々、北朝鮮その他の案件がありましたので、そこまで詳しくは、触れなかった」という。 
 安全な場所どころか、生活の場所であり、あるいはリゾート地に不時着した。このことを米軍が理解しない限り、県民の生命、財産は脅かされ続ける。たとえ時間がなくとも、防衛相としてはきちんと指摘しておくべきであった。

沖縄戦訴訟控訴審判決(2)

 「国家無答責」と日本軍の不法行為について福岡高裁那覇支部判決がどのように扱ったかを見る前に、史実として日本軍がどのような不法行為をおこなったかを押さえておきたい。
  控訴人側は、国が責任を負うべき不法行為の一つに、1944年10月10日の大空襲での軍の無警戒を挙げている。米軍の空襲による被害は、東京大空襲をはじめとして日本全国で軍事施設・軍需工場だけでなく、東京・大阪などの大都市や地方の中小都市も無差別爆撃された。無差別爆撃は、第2次大戦当時であっても国際法上許されない行為とされていたはずである。日本軍の中国・重慶にたいする無差別爆撃が最初であったという指摘がなされている。その日本軍の無差別爆撃が、ブーメランとなって焼夷弾による都市への爆撃が行われ、最後は、広島・長崎への原爆投下となった。この歴史を直視するなら、無差別爆撃という反人道的な戦略攻撃を行った日米政府・軍は、責任を問われなければならない。那覇をはじめ沖縄全土でおこなわれた10・10空襲は、日本が受けた最も初期の都市無差別空襲であったと位置づけられる。同時に、この空襲は、ある程度予期されていたが、沖縄の現地軍は、まったく警戒をおこたっていた。10・10空襲で祖母を失った原告団団長の野里千恵子さんは、「空襲の前夜、軍司令官らは那覇市内のホテルで宴会をやっていて、なんの警戒もしていなかったことを本で読み、愕然としました」と語っている。この軍司令部の無作為により、那覇市内の一般住宅の9割以上が焼失した。
  しかし、この無作為はどこからきているかといえば、沖縄県民の生命を守るという思想が欠如していたことに由来する。地上戦は、硫黄島でも行われたが、全島民を避難させたうえで、1日でも長く、米軍を硫黄島に張り付けさせるための戦術としておこなわれた。沖縄では、この島民避難が極めて不十分であった。そればかりでなく、北部地域などで非武装地帯を設定し、そこに住民を疎開させることもできたであろう。地上戦での民間人被害をできるだけ少なくするための保護対策がまったく取られなかった。この点も日本軍の不法行為だと、瑞慶山茂弁護団長は指摘している。泣き出す乳児を殺害する、砲弾が飛び交う中で壕から住民を追い出すなど直接・間接的な住民殺害は明らかな不法行為であり、どんな軍国主義思想の持主であっても、これは容認しないに違いない。しかし、住民側は、日本軍の不法行為をもっと広くとらえて国の責任を問題としたのであった。

沖縄戦訴訟控訴審判決(1)

 福岡高裁那覇支部は2017年11月30日、沖縄戦民間人被害国家賠償訴訟について控訴人の請求を退ける判決を出しました。多見谷寿郎裁判長は「軍の統制下で組織的に自殺を教唆、手助けしたことにより生じた」と沖縄戦特有の被害実態に言及したことや1審がまったくふれることのなかった戦時下のPTSDにも言及したが、「国家無答責」に立脚し、控訴任側の「軍がおこなった不法行為にまで国家無答責は適用されるものではない」という主張を退けた。この論理展開は、判決文をよく見てもなかなか受け入れられるものではなく、一言でいえば屁理屈だ。控訴人からも国家の責任によって起こした戦争であり、なぜ個々の兵士の責任を認めるが国の責任を認めないというのは、あまりにも非常識だと激しい批判の声があがった。
 地上戦によって、軍人の死者よりも民間人の死者の方が多いということになった沖縄。この沖縄戦特有の事情ということを見なければならない。当時の県民60万人のうち、4分の1の約15万人が戦死し、両親や家族を亡くし生きる糧を失った人たちや、生き延びたものの身体的・精神的後遺障害に苦しむ人たちを多数生み出した。そのマイナスから沖縄は、再出発をした。それが戦後70年余、経ってもなお救済されていない。高裁判決は、地裁判決よりその認識は前進しているとはいえるが、戦争による民間人被害の救済なしに、二度と国家の責任による戦争を起こさせない「国のかたち」を築くことはできない、この視点を欠落させている。
 被害者らは2012年8月、40人が原告となり、1人あたり1100慢円の損害賠償を求めた。その後の追加提訴で原告は79人になった。2016年3月、那覇地裁は、戦前の国家の行為について責任は問われないとする「国家無答責」を根拠に原告の請求を棄却。また、事実認定は一定程度行ったものの、精神的後遺障害にはまったくふれない不当なもので、原告は、判決を不服として控訴した。